小児がんと難病に家族で立ち向かう 闘病日記&呟き日記

生きて!ぼく病気になっちゃった。。難病に3歳児りゅうちゃんと家族で一緒に戦います。また 自身のことその他趣味のことなどを紹介しています

うつの呟き

目次

 

はじめに

こんにちは。

わっすです。

 

今回は、自分のことを書こうと思います。

 

病気を持ったご家族やまわりの方の

精神状態は、想像を絶するものがあります。

また、日々には、辛い出来事もありますよね。

何かの参考になればと思います。

良かったら覗いていってください。

 

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私は 重度の病気に 苦しんでいました。

そう、かなりのうつになってしまいました。

 

 

うつって 他人に理解して もらえない辛さがあります。

1日の中でも 波があって たまにいい時もあります。

なので、そんな時を 見ると やれさぼってる、早く仕事しろ、など・・

言われます。。

お薬の副作用で 半年で17kg太りました。

これも、とても辛いことなんです。

食事制限をしても、なかなか体重が減りません。辛いです。

 

 

お薬が効くまでは とても辛い毎日でした。

そのうち お薬で なんとか動けるようになりますが、通常の2〜3倍疲れます。

人と話すことが とても辛いですね。

毎日、『もう、疲れた」『もうだめだ』『何もかもおしまいだ』

と心の中で誰かが 呟いています。

誰なんだ、いったい誰なんだ、、

もう来ないで!!

仕事で 頑張ってきて 格闘家でもあった私が

なぜ こんな状態になったのか・・

私生活でも いろいろと あったこともあります。

が それだけでは なく、不運にも いろいろ重なってしまったのです。

 

なにかの参考になれば幸いです。

こんな私が 病気になるまでの経緯から 書いていこうと思います。

睡眠の重要性

あなたは、お仕事好きですか?

お仕事頑張ってますか?

頑張りすぎていませんか?

人間関係は、大丈夫ですか?

ちゃんと寝てますか?

 

まず私は、この中で一番重要な『睡眠』をおろそかにしてしまいました。

現場から、本部系に異動になった時です。

適当にやれば 早く帰ることも 可能でしたが

体育系の私は かなり気合いが入っていました。

むしろ楽しくてたまらない感じさえありました。

仕事は 自分で考えて 成果を出すという

わたしには もってこいの職種でした。

もともと 協調性が ないわけではありませんでしたが

個人競技が 大好きな自分と重なり一致しました。

仕事は 残業を強制されることは ないのですが

毎日 遅くまでがんばりました。

通勤に 1時間ちょっとかかるため

朝は 5時30分には 起きなければなりませんが

仕事は、毎日24時,25時までは 当たり前の生活をしていました。

 

徹夜で 家にシャワーだけに帰ることもありました。

変な達成感があったなど いわば頭が麻痺をしていました。

睡眠時間は 毎日3時間眠れればいい方・・

2時間くらいでしょうか・・

もともとロングスリーパーの私には かなり辛い毎日でした。。

そう、そんな中での2時間睡眠の キツさは かなりのものでした。

では、早く帰ればいいのでは?

と思いますけど、元々アスリートだった私は、

一人でもくもくと 最大限の努力をするのが 当たり前になっていたのです。

人より、より多くの努力、そこに追い討ちをかけての、頭の麻痺が

重なってしまい、もう止めることができなくなってもはや 中毒状態でした。

そうなると、帰りの車の中では、前の車のテールランプが、二重に見えるんですよね。。

何回見直しても、同じでした。。(通勤1時間)

酷くなると 商談中に 居眠りをした事も ありました。

そこまで 眠く、疲れていたのが 快感にさえ思えてきていました。

今から思うと その時に すでに 精神的におかしかったのでしょう。

どう 考えても 普通でない 精神状態。。

仕事の方は 賞、昇進と告知されていました。

それがさらに追い討ちをかけていきました。

私のようなことで、頭の中でうつの準備ができてしまった、というケースは 珍しいのでしょうか?

だからといって すぐにはうつにはなりませんでした。

それは 現場が、より楽しかったから。。

そのかわり 一旦うつになった時には 重症になってしまうのですよね。。

勘違いの努力の結果。。

そのころは、まだ病気発症までは

いっていませんでした。

でも、逆に早く気付いていたら

今のようにならずに済んだのでしょう。

さて、当時仕事は順調な中

相変わらず無理に無理を重ねていました。

その後、人間関係のもつれも

重なりかなり、体調も悪くなり出してしまい、

命の危険さえ感じるようになり、転職することを決断しました。

 

今思えば、この時通院していれば、、

と悔やまれてなりません。。

もし、いつもと違う、変だな、と感じた時は、まず内科的検査は、必須ですが

異常なければ、躊躇なく

精神科を(敷居が高ければ心療内科だと行きやすい)を受診することをおすすめします。

早ければ早くほど、回復も早いのです。

私のように、変に気合いを入れて続けても

なんの得もありません。

転職

さて、職場を変わって

一旦、体も楽になってきたように思えてきました。

しかし、私の体は、取り返しのつかない

状態へと進んでいたのです。

店舗へ配属となり、

気分一新、気持ちよく 毎日を送っていました。

コンテストでは、全国一位、もはや敵なしの状態でした。 

ここでも、根っからの負けず嫌いの

性格で、気合い入りまくりでした。

店舗の商品入れ替えなどがあると

終わらなければ、翌日に回せばいいものを

日付が変わっても、もくもくと

作業しているありさまでした。

その後、本部付けになり

またしても、仕事欲が

エスカレートしてしまいました。

転職したことで、前のような  

体調の変化は、出ていませんでしたが、

それは、幻想に過ぎなかったのです。。

その後、毎日、毎日、

夜中まで、パソコンと睨めっこと、店舗巡回する生活に戻っていったのです。。

休みの日まで、誰もいない事務所に

出て行き、仕事する。

   

単身赴任でしたので

気楽さから

朝方までと言う日も

出てきました。 

前回も睡眠不足から体調が悪くなったなどと言うことなど

完全に忘れていたという

愚かさでした。

こんな無茶は、本当にやめた方がいいと思います。

その上役職が付くと、残業代がつかないという事が

多いですよね。。

今から思うと

アメリカでは、定時の時間内に

仕事を完了できない人間は

能力不足と評価されると何かで読んだ事があります。

逆に言うと、私は、能力不足だったのかもしれません。

 

 

がしかし、私は、この方法で

叩き上げから、のし上がっていたのも

事実です。

不器用なのでしょう。

 

極めて、昭和初期の日本人の考え方だったのでしょうか、、

が、これだけでは、たとえば激務をされている方は、いらっしゃると思います。

では なぜ・・?

病気になった今でも

答えは、出ていません。

心療内科受診

そうこうしているうちに 体の不調は さらに悪化してきました。

倦怠感、すぐに疲れる、不安感、話すのが苦痛、

なかでも 辛かったのが 不整脈。。

とうとう 重い腰を上げて 受診することに致しました。

まず不整脈、確かに 心電図では 不整脈は出ていますが

病的なものではなく 心配はないとのこと。。

しかし 酷くなる一方。。

それではと、心療内科に 行くことにしました。

その時は うつとは はっきり言われずに

安定剤3種類と脈を遅くするするお薬をいただいて様子をみることにしました。

確かに、少し落ち着いてきて、不安感、恐怖感は 

だいぶ楽には なってきました。

そこで 安心して また仕事で 頑張るようになっていってしまったのです。

今から思えば、その時に うつと診断されて

抗うつ薬を 服用していれば 今のようにならずにならなかったのでは

ないか・・と悔やまれます。

精神的には うわべでは 落ち着いてきたように 見えていましたが

だんだんと 確実に うつは進んでいってしまいました。

安定剤で いわば対処療法で ごまかしながら 

体を酷使してしまった事・・・

悔やんでも、悔やみきれない。。

普段は 多少は 落ち着いているものの、

たまに 発作的に 不整脈から始まり、血の気がひくように

真っ青になり 頭がパニックになることが 出てきました。

その数は だんだんと 増えてくるようになったのです。

動けなくなる

そうこうしているうちに、

突然の 得体の知れない不安感、恐怖感が

1日のうちでも 何回も出るように なりました。

朝、出勤途中に 歩いている道端で 理由のない 恐怖感に

襲われて 動けなくなるんです。

途中なので 戻ることも 進むこともできないで しゃがみ込んで

いるしかない。。

朝は 毎日 なるようになりました。

そのころは、車で 高速に乗って3時間かかるところに

単身赴任でした。

本部から 現場へエリアマネージャーとして赴任していました。

病院は、地元へ 月一回帰ったときに 通院していました。

一度 高速道路を走っていて 発作が出た時は もうだめかと思いました。

そして とうとう 動けなく なったのです。

休職を決断しました。

その時の 病院では 2週間の 診断書がでました。

休んでも、仕事のことが 頭に浮かんで

とても 休んだ気はしませんでした。

これでは 治るものも 治らず、あっという間に

2週間は 過ぎていきました。

また 病院で 体調が 悪く どうにも動けないことを

相談して さらに 診断書は 延長になりました。

愚かな自分

そのころは まだ気が張っていましたので

なんとか 動くことは できました。

朝も やっとでしたが 起きることもできました。

家にいるということで 発作も 幾分少なくなったような気もしました。

ただ 日中 一人で家にいると 恐怖感は 相変わらずでした。

『一人の時に 不整脈でどうにかなったら どうしょう。。』

こんな 不安感が 日に日に 大きくなっていきました。

が、それでも 変に責任感が(こういう時はいらない)がある私は

今、思うとそれが なければ こうはならなかったと思いますが・・

早く職場へ 戻らなければ、と考えていました。

『なんとか、薬で 抑えておけば そのうち良くなるだろう。。』

くらいに 考えていたのです。

そして 心身ともに 具合が 悪いのにもかかわらず、復帰してしまいました。

もしこういう状態の方がいらっしゃいましたら 

すぐに、休業手当申請をして 少し長くお休みすることを

お勧めいたします。

そして 病院で 話しをよく聞いてくれない等

不審に思うことが あったら 迷うことなく 転院しましょう。

自身の体より大切な事なんて ありませんから・・

そんなことにも気づいていなかった愚かさを 今でも後悔しています。

転職するにも よく調べないと また同じくりかえしなんですよね。

まあ、だいたい 同じような職種を 選ぶものですがね・・

そして、復帰した私でしたが

(職場自体は リーダー職であるためとても やり甲斐がありました)

また、元の状態に戻るに たいした時間はかかりませんでした。。

経験上、酷いうつ病は 長い積み重ねで 発症していくんだな、と悟りました。

でも、これが わかったのは ずーっと先のことでした。

医師のひとこと

やはり いつものパターンの繰り返しです。

最初だけは なんとか 仕事が やれそうな気がしていますが

少しずつ だるさから 始まり 最終的には 不整脈へと進んでいくのです。

とうとう 耐えきれなくなり 他社からお誘いがあったということもあって

またもや泣く泣く 退職を決意いたしました。

この決断が とうとう 病気の 最終的な引き金となったなんて

夢にも 思いませんでした。。

転職すると 一からの出直しとなります。

体力も 気力も 落ち込んでのスタートは 正直きついものでした。

一年は 持ち堪えたものの とうとうダウンしました。

通院している 医師の診断では うつ状態。。

それから 一年 動けなくなり 『もうこれまでか。。』と

思うようになりました。

ある時、診察と薬が一割負担になる

自立支援制度が使いたいと、先生に 診断書をお願いしたところ

なんと、待合室まで 届くような大きな声で

『そんな申請したら、一生 そういう目で見られるんだよ!!』

と怒鳴ったのです。。

これには 驚きと わかってもらえない辛さとで

病気でナーバスな私は、涙が 出てきました。。

続くショック

その ショックは 計り知れないものでした。

帰ってからも 涙がとまりませんでした。

今は とてもナーバスになっているのです。

具合が悪く、寝込んでしまいました。

そうなると もう仕事どころでは ありません。

もう 誰に相談しても・・

誰に言えば わかってっもらえるのだろうか・・

そえはもう 辛い時期でした。

もう 悪いことが 重なり続けた結果で 今があるのでしょう。。

診断書の期限が 切れるたびに 会社に連絡。。

先生に また書いてもらう。。

これだけのことが もうこれ以上 辛いことがあるのか

というくらいでした。

ここまで 落ちると 早く 元気に 働きたいという

願望も 消え失せ・・

昼夜逆転 夜が眠れず 昼間は 起きられないという

パターンに なっていきました。

どうして あんなに 怒鳴ったのだろう。。

私の状態が わかっていての 言葉だったのだろうか・・

いろんな思いが 頭の中から消えませんでした。

これほどの事が続いていくのは どういうことなのだろうか。。

ということばかり 頭から 離れませんでした。

私は 病気には負けない!という思いを

持っているつもりでした。

これが なくなるのが 怖いところなんです。

(少しでも 参考になれたらと 思っています。)

転院を考えるも・・

そして、辛さが 倍増してまたもや 悪化へ・・

辛いながらも なんとか自立支援制度の診断書を

書いてもらい、受けることになりましたが

市役所では 証明書が送られてくるまで 3ヶ月くらいかかるとのこと。

ただ、申請のコピーをお渡しするので こちらを持っていけば

病院の方で対応して 診療費、お薬代を3割から1割負担に変更してもらえるはずです。

と言われましたので 病院に持っていくと、なんと正式な

証明書がこないと 1割にはできませんと 取り合ってもらえませんでした。

心療内科の診察、お薬って結構高いんです。

薬局でも 病院がそう言うなら、こちらでも、、、となりました。

役所に確認すると 強制では ないので。。と。。

しかたなく、3か月は 2週間おきに 3割で払うことにしました。

もう、なにもかも 信用できなく、もらったお薬も きちんと飲めなくなってきました。

いろいろなことを 深く考え過ぎるのも病状でもありますが・・ 

そうはいっても納得できませんでした。

病院に再度お願いしても 聞いてもらえませんでした。

思い切って他の転院しようと思って

いろいろ調べてみました。

他の病院では どこでも 役所のいう通りにしてくれていました。

ただ、いざそう思っても

今の体調では とても対応できなくて・・

そうこうしているうちに 薬もろくに飲めずに 3ヶ月がたち

やっと 1割負担に変更になりました。

もう、心身ともに 疲れ、体調の悪さで 動けなくなり、

キツさは増すばかりでした。

お願い

 この病気は とても波があります。

1日の中では、夜になると多少動けるようになります。

週によっても なんとか起きていられる日もあるのです。

(もちろん、完全に落ち込んでる時は無理ですが・・)

通院は なんとか動ける時をみて 行くようにしていました。

ただ、一旦信頼を失った気持ちのままでは

ただ、行くだけ、という事に過ぎませんでした。

もうこの先生を頼れないと思い、

元気が出るよに、いい波がきている時間に

ほんの少し歩くようにしました。 

体が重く、何倍も疲れる。。

家の中でも、顔を洗うだけでも ぐったり。。

こんな状態にまで なってしまいました。

特に なにが辛いって

見た感じが 何でもないんです。。

まして いい時もあるので、余計理解してもらう事は難しいのです。

べつに 同情してほしい訳では ないのですが。。

ただ、励ますことは やめてほしいのです。

特に親は きついことを言いがちです。

『そんな事では しょうがない』

『仕事でも すれば気晴らしになる』等・・

励ましてるつもりが 悪化させてしまっているのです。

だんだんと人と話すことも 苦痛になってしまいました。

うつってメンタルが弱いから?

 私のように 悪化していくのは、

この病気は、時間差で 出てくるからなのです(私の場合)

今までの積み重ねが長ければ長いほど 泥沼に引き込まれる・・

あがけば あがくほど深みにはまるんです、、

何度もいいますが、早く適切な治療をすれば

私のようなことには ならないです。

うつは 誰でもなる可能性がある病気です。

よく『メンタルが弱いからなるんだね』

『私はあなたと違ってそんなに弱くないからならない』と

思いこんで、そう言うことが(ほとんど)ありますが

精神論でなるのではないんです。

 

私は 学生時代全校一走るのが速く

親指と人差し指の2本指ずつで逆立ちができ

塀で使うブロックを2枚重ねて叩き割ることができ

ボクサーでもありました。

こんな私が こうなるとは 夢にも思っていなかったのは

自分自身が 一番よくわかっていて、驚いています。

なので、弱いからなるのではなく、病気で弱くなってしまうのです。

 

 

 

今では、信頼できる医師のもと、治療に専念しています。

 

あとがき

私自身今から思うこと

①睡眠は なにがあっても必ずきちんととる。

睡眠不足を甘くみて、慢性化した私は 後悔しています。

②体調の変化が続くようであれば、まず休養をとってみる。

③それでも、よくならなかったら、病院で検査してもらう。

④検査で異常なければ、精神科。

行きづらかったら心療内科が 行きやすい。

(早ければ、早いほどいいです)

⑤医師が、話をよく聞いてくれない、合わないなどがあれば、躊躇なく転院を!

めぼしい病院があれば、転院する前に一度診察を受けてみる。

⑥人間関係で、うつになる方も多いようです。

この場合も①から。。

⑦私のように、繰り返すことにより、悪化させない。

心の風邪と言う方もいますが、脳のエラーによる病気だと認識しています。

 

私が 苦しみながらも 読んでいる本たちを ご紹介いたします。

樺沢先生は精神科医で ありながら、映画評論家、作家等で活躍されている方です。

私は 藁にもすがる気持ちで今でも読んでいます。

人生を楽しむためのヒントになればと

思います。

 

 

何気なく、書店で見つけた一冊。 この本で、だいぶ救われましたし、樺沢先生のファンになるきっかけとなりました。 『病気が治らない人の特徴は 「頑張りすぎ」の言葉は まさに 私、そのままでした。 息子の病気(闘病日記ブログ)に対しての向き合い方を見ていて 再確認することができました。

 

 

 

私や、息子の病状が悪化している時、職場で人にあたることこそ、なかったもののかなり情緒不安定でした。 気分よく仕事ができる時もあれば、変に落ち込んでみたり 不安感が強かったり、急にイライラしたりしていました。 そして、すべてが ネガティブ思考。 これらをコントロールする術が書いてあります。 もちろん、すぐに病気がよくなるわけでは ありませんが 知っているのと、知らないのでは、大きな差がありました。

 

息子が 自分の病状が大変な時、また自身の体調が悪い時 こちらの本『精神科医が教える 毎日を楽しめる人の考え方 』 に出会いました。 たとえ、命にかかわる病気だとしても いつも、塞ぎ込んでばかりいても仕方なくて 今現在、どう過ごすかを考えさせられるベストセラーの一冊です。