「もうだめだ」
その言葉が、頭の中でずっと繰り返されている。
朝起きた瞬間から、夜ベッドに沈み込むまで、いや、眠れない夜の間中も、ずっとだ。
「もうだめだ、もう無理だ」って、心が叫んでいる。
誰にも聞こえない声で。
私はうつ病を患って数年になる。
最初はただの「疲れ」だと思っていた。
仕事が忙しかったし、人間関係も少しギクシャクしていたから、よくあるストレスの一種だろうと軽く考えていた。
でも、疲れが取れない。
眠れない。
食欲がない。
好きだった音楽すら耳障りになり、気づけば、笑顔を作ることも忘れていた。
気づいたときには、もう、自分が自分でないようだった。
「がんばらなきゃ」と思っても、体が動かない。
メール一通返信するのに何時間もかかる。
顔を洗う、それだけのことが、まるで山を登るように感じる。
鏡に映った顔は、見知らぬ誰かのものみたいで、目の奥には何の光もない。
それでも最初の頃は、まだ「回復」を信じていた。
通院を始め、薬を飲み、休職もした。
誰かに「うつ病になった」と話すのは怖かったけれど、理解してくれる人もいた。
支えてくれる人がいた。だから、きっと大丈夫。時間が経てば、また元の自分に戻れる。
そう信じていた。
けれど、現実は甘くなかった。
薬は効いたり効かなかったり、副作用で余計に苦しくなった日もある。
通院のたびに医師から「焦らないで」と言われるけれど、焦ってしまう。
世の中は止まってくれない。
自分だけが取り残されていく気がしてならない。
周りの人は進んでいく。
昇進して、子どもが生まれて、家を買って、人生を「積み上げて」いく。
一方、私は何ひとつ前に進めず、何年経っても同じ場所にうずくまったまま。
いや、むしろ少しずつ、少しずつ、下に沈んでいるような感覚すらある。
そんな自分を責めてしまう。
「こんな自分じゃ、誰の役にも立たない」
「存在している意味がない」
「もう生きてる意味がない」
そう思ってしまう。
でも、どこかで、ほんのどこかで、「それでも生きなきゃ」という声もある。
ごくかすかで、聞こえるか聞こえないか、そんな小さな声。
だから私は、今日もこうして生きている。
心の中は「もうだめだ」でいっぱいでも、生きているという事実だけは、まだここにある。
うつ病の苦しさは、外からは見えない。
笑っているから元気だとか、働いているから大丈夫だとか、そういうことではない。
外見だけで判断できるようなものじゃない。たとえ表面上、何も問題なさそうに見えても、内側は嵐のように荒れていることもある。
私は、完璧じゃなくていいと思いたい。
何もできなくても、何も持っていなくても、それでも生きていていい。
「もうだめだ」と思っていても、まだ終わりじゃない。
そう信じられる瞬間が、ほんの少しだけでもあるのなら、まだ大丈夫なのかもしれない。
うつ病は「治す」ものではなく、「付き合っていく」ものかもしれない。
そう思えるようになったのは、たくさん絶望した後だった。
うつ病を持っている自分を、少しずつ、否定せずに認めていくこと。
それが本当の「回復」への一歩なのかもしれない。
今日も「もうだめだ」と思いながら、それでも私はこうして、文字を綴っている。
それだけで、ほんの少しだけ、自分を許せる気がする。
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
うつの時ってひとりではどうにもならないよね
私は大変だったんだ