朝、目が覚めた瞬間、重たい鉛のような感覚が胸の奥に広がっていた。
目を開けることすら億劫で、布団の中に身体を沈めたまま、天井の見えない闇をただ感じていた。
眠りから覚めても、夢から現実へと帰ってきたという実感はなかった。
現実の方が夢よりも曖昧で、色がなくて、冷たくて、時に痛い。
スマホの通知音が遠くで鳴っていたけれど、手を伸ばす気力も起きない。
メッセージか、ニュースか、何かしらの「現実」からの呼びかけが、まるで異国の言葉のように遠く感じる。
何も応えたくない。
何も知りたくない。
今日という日が始まることすら拒絶したくなる。
けれど、時間はそれでも進む。容赦なく。
午前中はほとんど動けなかった。
何かをするという選択肢が最初から存在しないように思えた。
テレビをつけても、言葉が頭に入ってこない。
音がただ耳を通り過ぎるだけ。
コーヒーを淹れようとキッチンに立ったものの、フィルターを取り出すところで立ち止まり、そのまま座り込んでしまった。
小さな行動の連続が、大きな山を登るような苦痛を伴う。
わたしの脳は、今や最も単純なタスクでさえも過剰な負担とみなしてしまう。
午後になって、ようやくシャワーを浴びた。
湯船ではなく、ただ立ったままぬるま湯に身を晒す。
水が肌を流れる感覚だけが、かろうじて「今」を思い出させてくれる。
でも、鏡に映った自分の姿には、感情が湧かない。
これは誰だろう?どこかで壊れてしまった誰かの抜け殻を見ているようだった。
外は春の気配が強まっていて、窓から差し込む光は穏やかだった。
かすかに風がカーテンを揺らし、鳥のさえずりが聞こえていた。
普通なら心地よいと感じるはずのその風景が、今日はただ遠かった。
世界が自分から何歩も離れたところにあって、自分はその中心にはいない。
いや、そもそも世界の地図に自分の存在が描かれているのかどうか、疑わしく思えてしまう。
それでもなんとか、少しだけ日記を書く気になった。
こうして言葉を紡いでみると、自分の中に確かに何かがあることに気づく。
それは痛みであったり、虚しさであったり、不安であったりするけれど、同時に「まだ感じられる」という事実でもある。
完全に無になってしまったわけではないこと、それはたぶん小さな希望でもあるのかもしれない。
うつ病の辛さは、ただ気分が落ち込むことだけではない。
「生きること」と「存在していること」の境界線が曖昧になってしまうことだと思う。
自分という存在が社会の中にどう溶け込むか、どう意味を持つかが分からなくなる。
自分の声が誰にも届かないような孤独。
周囲との温度差。
それでも、こうして文字にしてみることで、わたしの内側の声を少しずつでも可視化していけたらと思っている。
明日が来るのが怖い。
けれど、今日をこうして書き残したことで、明日も「書いてみよう」と思えるかもしれない。
その小さな繰り返しが、いつか光へとつながると信じて。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
↑今回もクリック応援お願いできませんか。
生きる励みになります。
よろしくお願いいたします。
うつ病をより多くの皆様に知っていただけたらと思います。
下段よりシェアしていただけたら嬉しいです。
#️⃣生きた記録病気怪獣と戦うウルトラマンになった3歳児
小児がん末期の記録公開
良かったら読んでいただけたらと思います
少しでも生きる力をみいだせれば幸いです
https://note.com/reimi_tutu/n/nba0d2059f547
医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
広告
私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
うつの時ってひとりではどうにもならないよね
私は大変だったんだ