今日も朝が来た。というより、「朝が来てしまった」と言うほうがしっくりくる。
夜の間も眠れなかった。
眠れないまま、うつらうつらと意識の海を漂いながら、気づけば朝日が差し込んできていた。
カーテンの隙間から漏れるその光は、本来なら「希望」や「始まり」の象徴なのかもしれない。
でも、私にとってはただの苦痛のサインだ。
「また一日が始まってしまった」という絶望のサイン。
ベッドから出るのに1時間以上かかった。
起き上がる理由がどこにも見つからない。
誰も待っていない、やるべきことも、やりたいこともない。
ただ、生きているだけで疲れる。
動くだけで心が重くて、体も鉛のようだ。
ようやく起き上がったあと、顔も洗えず、歯も磨けず、ただソファに崩れるように倒れ込んだ。
スマホを見ても、何も心が動かない。
SNSのタイムラインには他人の「普通の日常」が流れてくる。
「ランチ行った」「桜が咲いてる」「仕事忙しいけど充実してる」。
私には全部、異世界の話だ。遠くて、届かない。
まるで映画の中の出来事のようだ。
そうやって他人の「生きている姿」を見せつけられるたびに、自分の存在の空虚さが浮き彫りになる。
今日は、頭の中にずっと「消えてしまいたい」という声が響いていた。
突然じゃない。
ずっと、もう何年もそうだ。
でも今日は、その声がやけに大きく、しつこく、耳にまとわりついて離れなかった。
「どうせ誰にも必要とされてない」「頑張っても意味がない」「もう疲れたよ」――そんな言葉が自動再生される。
止めたいけど止められない。
まるで呪いのテープだ。
体のどこかが物理的に痛むわけじゃないのに、胸の奥が苦しくて、目頭が熱くなって、涙が流れる。
理由なんてない。
ただ、つらい。
ただ、消えたい。
食事もまともに摂れない。
お腹は空いている気がするのに、何かを口に運ぶと吐き気がする。
唯一、冷蔵庫の中にあったヨーグルトを少しだけ食べたけど、それも途中で止めてしまった。食欲がないというより、「食べる意味が見つからない」。
生きることに意味を見いだせない人間にとって、栄養を摂ることも、すべてが無意味に思える。
午後になっても何も変わらなかった。
時間がただ過ぎていく。
部屋の時計の針が、私の無力さを刻んでいくようで嫌になる。
何かしようとしても、思考がまとまらない。
本を開いても、文字が意味を成さない。
テレビをつけても、何も頭に入ってこない。
ただ時間が流れ、自分が置いていかれるような感覚。
私だけが止まっている。
私だけが、取り残されている。
それでも夕方になると、ふと「今日も生き延びたんだな」と思った。
生き延びたという表現は少し大げさかもしれないけど、実感としてはそうなのだ。
戦いだった。
自分の思考と、自分の感情と、現実の全てと、今日も一日中戦っていた。
そしてギリギリのところで踏みとどまって、今、こうして日記を書いている。
それは、ほんのわずかかもしれないけど、「私がここにいた証」なのかもしれない。
でも本音を言えば、「明日」なんて来てほしくない。
どうしてこんなにも生きることが難しいんだろう。
普通に働いて、普通に人と関わって、普通に笑っている人たちが、宇宙人のように見える。
私はどこかが壊れているんだろうか。
それとも、世界の方がおかしいのか。
どちらにせよ、今の私は、「普通」に生きることができない。
それがただただ悔しい。そして情けない。
この日記に救いはない。
希望も、前向きな言葉も、勇気づけるような一文も書けない。
でも、それでも書いておきたい。
誰かに届かなくても、自分だけは、自分の苦しみを記録しておきたい。
だって、それすらしなければ、本当に「存在していない」ことになってしまいそうだから。
今日のうつ病地獄は、こんな感じだった。
明日も、また、こんな風に過ごすのだろう。
でも今はただ、布団にくるまって、何もかもを忘れたい。
明日が来ることを祈らず、今日が終わることだけを願いながら。
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
うつの時ってひとりではどうにもならないよね
私は大変だったんだ