今日もうつ病地獄 ― 街に出る日 ―
久しぶりに外に出る決心をした。
それは大きな用事があったわけではない。
冷蔵庫の中に何もないことに気づいたからだ。
空腹というより、「このまま何も食べずにいると倒れるな」と頭が判断しただけで、体はまるで動きたがっていない。
服を着替え、顔を洗い、財布を鞄に入れる――それだけのことが、信じられないほどの労力を要する。
玄関のドアを開けるのが、すでにひとつの試練だ。
外の空気は少し生ぬるく、季節の移り変わりを感じさせた。
けれど、心は動かない。
通りには人がいて、子どもが笑い、大人が忙しそうに歩いている。
その流れの中に自分の居場所がないと感じる。
まるで世界の色から取り残された存在のようだ。
コンビニに入ると、明るい照明とポップな音楽が耳を打つ。
眩しすぎる。
店員の「いらっしゃいませ」が胸に刺さる。
自分に向けて言われているわけじゃないと分かっていても、それを受け取る準備ができていない。
どこかに身を隠したくなるような、そんな居心地の悪さが全身を包む。
棚の前で立ち尽くす。
何を買うべきか、頭が回らない。おにぎりひとつを選ぶのに、何分かかっただろう。
後ろから誰かが来た気配がして、焦って手に取る。
レジに向かうと、順番を待つ時間すら苦痛になる。
呼吸が浅くなり、手のひらにじっとりと汗をかいているのが分かる。
会計を済ませて店を出ると、ぐったりと疲れている自分がいる。
まるで何時間も働いたかのような消耗感。
買ったものを持って帰る足取りは重く、家までの道がやたらと遠く感じられる。
途中、公園のベンチに座る。
老夫婦が散歩していた。
近くで学生たちが笑っている。
そんな光景は本来、穏やかな日常のはずなのに、自分には痛みしか伴わない。
「なんで自分は、普通にそれを感じられないのだろう」と自責が始まる。
人を羨む気持ちと、自分を責める気持ちがぐるぐると渦を巻く。
帰宅すると、どっと崩れ落ちるように床に座り込んでしまう。
たった数十分外に出ただけで、もう体も心も限界だ。
冷蔵庫に食料を入れる余力もなく、買ったおにぎりも袋に入ったまま。
誰にも見られていないのに、「何もできない自分」を見下すような目が、どこかにあるような気がする。
SNSを開くと、他人の幸せが洪水のように押し寄せてくる。
笑顔の写真、旅行先の風景、成功体験の投稿。
それらすべてが、自分の価値をどんどん削っていく。
誰かの幸せが、自分の無力さを際立たせる。
だからと言って、嫉妬でもない。
ただ「自分には縁のない世界なんだ」と、深く実感するだけ。
夕方になっても、電気をつける気力が湧かない。
薄暗い部屋の中、布団にくるまって動けなくなる。
「外に出てえらいね」と誰かが言ってくれたとしても、自分では全くそう思えない。
むしろ、「こんなことで疲れている自分はダメだ」と責めてしまう。
夕食は結局、おにぎりを無理やり口に押し込むようにして済ませた。
味はしなかった。
ただ、「食べた」という事実だけが、今日の成果だ。胃が重たくなる感じすら、自分が「まだ生きている」ことを証明する唯一の感覚のようにも思える。
夜、布団に入って目を閉じても、眠気は訪れない。
頭の中には、今日のすべてがスローモーションで再生される。
外に出たこと、店で感じた恐怖、人の目、比べてしまったこと、何もできなかった自分……すべてが、心の中に残っている。
まるで、終わらない責任のリストのように。
「これがずっと続くのか」と思うと、胸が締めつけられるような絶望感に包まれる。
明日もまた、何かをしなければならない。
でも、今日と同じようにうまくいかないことが分かっている。
わかっているから、余計につらい。
希望というものがどこにも見えない。
それでも、朝はまた来るのだろう。
来てしまうのだろう。
今日という一日がどれだけ苦しくても、明日は止まってはくれない。
だから、せめて願うしかない。
明日は、今日よりほんの少しだけでも、ましであってほしいと。
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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うつの時ってひとりではどうにもならないよね
私は大変だったんだ