「光なき水底で生きるということ」
うつ病の苦しみを言葉にするのは難しい。
なぜなら、それは形のない霧のように心を覆い、説明しようとすると指の隙間からすり抜けてしまうからだ。
しかし、あえてその霧に輪郭を与えるなら、それは「光の届かない水底に沈められたまま、生きながら溺れている感覚」に近いかもしれない。
朝、目を覚ました瞬間から重力が異常に増している。
身体が鉛のように重く、布団の中から出ることすらできない。
何もしていないはずなのに、なぜこんなにも疲れ果てているのだろう。
目の前には一日という名の巨大な壁が立ちはだかり、それを乗り越える気力も方法も見当たらない。
うつ病とは、単に「気分が落ち込んでいる」ことではない。
それは自己否定の濁流に呑まれ、自分という存在そのものが否定されていく過程だ。
「生きている意味がわからない」「自分は誰の役にも立っていない」「周りに迷惑ばかりかけている」——そういった考えが、毎日、否応なく頭の中に流れ込んでくる。
理性では「そんなことはない」とわかっていても、感情が従わない。
むしろ理性があるからこそ、そのギャップに苦しみ、ますます自分を責めてしまう。
人と会話をするのも辛い。
相手の言葉が意味を成さないわけではないが、それを受け止める器が壊れてしまっている。
言葉を返すたびに、自分の声が自分のものではないように感じる。
笑顔を作ろうとしても、それはひどくぎこちなく、頬の筋肉を動かすだけでエネルギーを消耗する。
過去の楽しかった記憶さえも、今では遠い星のように感じる。
あの頃の自分はもういない。
未来への希望も見えない。
ただ、終わらないトンネルの中を延々と歩かされているだけのようだ。
出口などない。
どれだけ歩いても暗闇は続く。その中で、ふと「消えてしまいたい」と思うことがある。
死にたいというよりも、「この苦しみから解放されたい」「ただ静かになりたい」と思う。
何も考えずに、眠るように、この痛みが終わればいいのにと。
社会は残酷だ。
表面上は「うつ病への理解を」と声高に叫ばれているが、実際には「ただの怠け」「気持ちの問題」「努力が足りない」と陰で囁かれる。
そんな声を敏感に感じ取ってしまい、自分の存在がどんどん縮こまっていく。
誰かに助けを求めたいのに、声を上げることができない。
助けを求めることすら、「迷惑をかける行為」として自分を責めてしまうからだ。
夜になると、眠ることすらひとつの戦いだ。
身体は疲れているのに、心が休まらない。目を閉じても、脳内には自責の言葉がぐるぐると回り続ける。
あれができなかった、これもしなかった、なんで自分はこうなんだろう…。
ようやく眠れたとしても、夢の中でさえ自分を責めている。
朝になればまた、同じ地獄が繰り返される。
まるで見えない毒に侵されているような感覚。
心という臓器が、静かに腐っていく感覚。
それを誰にも気づかれないまま、孤独に抱え続けなければならない。
言葉にしようとすると、「甘え」だと思われてしまうかもしれないという恐れが先に立ち、何も言えなくなる。
けれど、もし誰かがこの文章を読んで、うつ病の「本当の苦しみ」を少しでも理解してくれたなら、それだけで救われる気がする。
なぜなら、うつ病に最も必要なのは「理解されること」だからだ。
治療には時間がかかる。
希望が見えるまでには、何度も落ちて、何度も諦めかけて、何度も涙を流す必要があるかもしれない。
でも、それでも今日をなんとか生き延びたことは、決して小さなことではない。
呼吸をしているだけでも、心臓が動いているだけでも、それは「闘っている証拠」だ。
私たちは、見えない闇と戦いながら、それでも生きている。
今日も、地獄のような苦しみの中で、それでも呼吸をしている。
それは弱さではない。
それこそが、静かで確かな強さなのだと、私は信じたい。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
↑今回もクリック応援お願いできませんか。
生きる励みになります。
よろしくお願いいたします。
うつ病をより多くの皆様に知っていただけたらと思います。
下段よりシェアしていただけたら嬉しいです。
#️⃣生きた記録病気怪獣と戦うウルトラマンになった3歳児
小児がん末期の記録公開
良かったら読んでいただけたらと思います
少しでも生きる力をみいだせれば幸いです
https://note.com/reimi_tutu/n/nba0d2059f547
医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
広告
私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
ひとりではどうにもならない時あるよね
私は大変だったんだ