今日も昨日に引き続きうつ病、少し楽だったよ
今日も、昨日に引き続き、少しだけ楽な一日だった。
それだけのことなのに、心の中で「ありがとう」と何度もつぶやきたくなった。
うつ病の底に沈んでいた日々が続いていたからこそ、ほんのわずかな「楽さ」や「軽さ」が、まるで春の陽射しのように感じる。
体が少し動いて、呼吸がほんの少しだけ深くなって、頭の中の霧が薄くなった。
そんな感覚だけでも、私にとっては大きな進歩だ。
ここ最近、調子のいい日が一切なかったわけではない。
でも、それが続くことはほとんどなかった。
ひとときの安らぎの後に、必ずといっていいほど、あの重苦しい波がまたやってくる。
朝、目を覚ますだけで絶望感に押しつぶされて、ベッドから出るどころか、目を開けることすら苦しい。
そんな日が何ヶ月も続いた。
それが昨日、少しだけ違った。
目覚めた瞬間に「地獄だ」と思わなかった。
体は重かったけれど、なんとか布団から出ることができた。
コップ一杯の水を飲み、洗面所へ行って顔を洗った。
そんな当たり前のことが、まるで偉業のように思えた。
久しぶりに「朝が来た」という実感を持てた。それだけで、涙が出そうになった。
そして、今日も。昨日ほどではないけれど、やっぱり少し楽だった。
呼吸が苦しくない。
頭の中でぐるぐる回っていた自己否定の言葉が、少し静かだった。
「生きていていいのかな」「なんでこんなに無能なんだろう」「いなくなった方がいいんじゃないか」――そういった言葉が、頭の中から離れない日々が続いていた。
でも、今日はそれらが遠くに感じた。
まるで、騒音が壁越しに聞こえるような、そんな感じ。
完全に消えたわけではない。
でも、まともに向き合わずにすんだ。
たったそれだけのことが、ものすごく楽だった。
うつ病が少し良くなると、「もしかしてもう治ったのかな?」と期待してしまう。
そして、また悪化すると、あの希望を持った自分を責めてしまう。
でも、今日はそんな風に思わなかった。
「また悪くなるかもしれない。
でも、今はちょっと楽だ」。
そう思えたことが、自分にとっては一番の収穫だった。
良くなったときに無理をして、また悪化させてしまうのがいつものパターン。
今日はその落とし穴に落ちずにすんだ。
焦らなかった自分を、ほんの少しだけ褒めてあげたい。
こういう日が続けばいいな、と思う。
でも、同時に「続かなくてもいい」とも思うようになった。
期待しすぎない。
失望しすぎない。
その中間で、ただ「今」の自分を見つめること。
それが少しずつできるようになってきたのかもしれない。
うつ病は「焦らない練習」なのかもしれない、とふと思った。
今日やったことは、ほんのわずかだ。
午前中にベランダに出て、少しだけ陽を浴びた。
部屋に入る光が柔らかくて、少しだけ心がほぐれた。
昼は、いつもは面倒で済ませてしまうインスタントのものではなく、簡単な卵雑炊を作った。体に優しいものを、自分の手で作って食べる。
これも、ものすごく久しぶりのことだった。
午後は、無理をせずに音楽を聴きながら横になった。
昔好きだったアーティストの曲が、今の自分に少しだけ寄り添ってくれる気がした。
夕方には短い散歩にも出かけた。
10分ほど、近くの公園のベンチに座って、ただ風を感じる。
それだけで、ずいぶん気持ちが違った。
こうして振り返ってみると、本当にささやかなことばかりだ。
でも、うつ病の中にいると、その「ささやか」すらできないことが多い。
だからこそ、今日は特別だった。
明日どうなるかは分からないけれど、今日が「少し楽だった日」として記憶に残ってくれることを願う。
もう一度、心の中でそっとつぶやく。
「ありがとう」。
こんな日が、また来てくれますように。
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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ひとりではどうにもならない時あるよね
私は大変だったんだ