朝が来た。
だが、目は覚めない。
カーテンの隙間から光が差し込んでいることは分かる。
でも、その光は私にとって“朝”を知らせるものではない。
ただの光だ。
もう何時なのか、今日は何曜日なのか、そんなことはどうでもいい。
今日が来たことすら、恨めしいと思ってしまう。
身体は重く、まるで鉛を詰め込まれた袋の中に閉じ込められているようだ。
手を動かすことすら億劫で、頭は霞がかかったようにぼんやりしている。
「起きなければ」と何度も心の中で呟くが、その声すらすぐにかき消される。
まるで無力な抵抗だ。
布団の中は唯一、安全に感じられる場所だ。
けれども同時に、この布団は私を捕らえる檻でもある。
安心と絶望が交錯する。
外の世界は怖い。
人と接するのが怖い。
声を出すのが怖い。何かを感じることが、怖い。
気づけば、また数時間が過ぎている。スマホの通知は無視している。
誰かが私を必要としているかもしれない。
だけど、その誰かの期待に応える自信がまったくない。
返信をしなければという焦りと、それができない自己嫌悪で胸が苦しくなる。
もう何年もこんな日々を繰り返しているような気がする。
「甘えだ」と言われた言葉が、今も頭の中に響く。
確かに、何もしていない自分はダメだと、自分でも思う。
働いていない、友人とも疎遠になった、家族とも会話が減った。
自分の存在価値を見失っている。
ただ生きているだけの自分に、意味があるのか。
何のために今日も息をしているのか分からない。
時々、ほんの少しだけ希望のようなものが見えることがある。
窓の外に咲いた花を見て、「きれいだな」と感じた瞬間。
テレビの中の風景に懐かしさを感じた時。
そうした一瞬が、まるで夢のように消えていく前に、すぐに闇が覆いかぶさってくる。
「どうせまた沈むんだ」「何をしたって無駄だ」という声が、心の底からわき上がってくる。
通院もした。
薬ももらった。
カウンセリングにも通ってみた。
けれども、どれも「効果があった」と言えるほどの変化はなかったように思う。
医師の優しい声も、カウンセラーの励ましも、今の私には遠い世界の出来事のようだった。
言葉は、私の奥底まで届かなかった。
友人が言った。「いつか良くなるよ」。
でも、私はもう“いつか”を信じる力も失っている。
未来という言葉が、ただの空想にしか思えないのだ。
「それでも生きていてほしい」と言われても、その理由が見つからない。
ただ、死ぬ勇気もないから、仕方なく生きている。
そんなふうに感じてしまう自分が、また嫌になる。
夕方になると、少しだけ楽になる時がある。
朝ほどの絶望ではない。
けれども、それは夜に向けての“麻痺”のようなものであって、決して安らぎではない。
夜になると、今度は眠れない恐怖が襲ってくる。
布団に入っても、頭の中は騒がしく、過去の後悔や未来への不安が押し寄せてくる。
涙が出ることもある。
でも、泣くことで少しでも楽になることは、ほとんどない。
そしてまた朝が来る。
その繰り返しだ。
何も変わらず、何も前に進まず、ただ「耐える」だけの日々。
うつ病は病気だと分かっていても、自分を責めずにはいられない。
「もっと頑張れたんじゃないか」「他の人はちゃんと生きてるのに」。
そんな声が、自分の中から絶え間なく聞こえてくる。
それでも、こうして言葉にしてみようと思った。
今のこの気持ちを書き残すことで、もしかしたら、自分の存在を少しでも認められるかもしれないから。
誰かに理解されなくてもいい。
少なくとも、自分がこの地獄の中で生きているということを、自分自身だけでも見つめていたい。
明日もまた、同じ朝が来るだろう。
だけど、今日をこうして文字にできたことが、ほんのわずかでも“今日”を意味あるものにしてくれるかもしれない。
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
ひとりではどうにもならない時あるよね
私は大変だったんだ