目覚ましが鳴る。
けたたましい音が頭に突き刺さる。
けれど、体はまったく動かない。
重い、いや「重い」なんて言葉では足りないほど、全身が鉛のように沈んでいる。
目を開けるのも、呼吸を整えるのも、何一つ自然にできない。
目が覚めたこと自体が絶望だった。
今日もまた、生きなければならない。
それが恐ろしくてたまらない。
うつ病になってから、世界のすべてが色を失った。
人の声も笑顔も、風景も季節の移ろいも、私には届かなくなってしまった。
ただ灰色の霧の中を漂っているような、そんな感覚。誰かが「大丈夫?」と優しく声をかけてくれても、その言葉の意味すら遠く感じる。
言葉は空虚に響いて、私の心に届かない。
「怠けてるんじゃないの?」
「気持ちの持ちようだよ」
「運動したら治るって!」
無邪気な善意は、時に刃となって私の胸を刺す。
そんなこと、自分でも何千回と考えた。
運動もした。
栄養にも気をつけた。
規則正しい生活を意識したこともあった。
でも、うつ病はただの「やる気の問題」ではない。
どんなに努力しても、抗えない波に飲み込まれる日々がある。
気合いや根性で治るものなら、とっくに私は元気になっている。
毎日、ただ「今日も死なずにいられた」というだけで精一杯だった。
家族には申し訳ないと思う。
心配をかけ、負担をかけていることは痛いほどわかっている。
それでも、自分ではどうしようもできない。
「迷惑をかけたくない」と思えば思うほど、自分を責めてしまう。
「自分なんかいない方がいい」と思う瞬間が何度もあった。
仕事も辞めた。
友人との連絡も断った。
スマホは音を消して、通知をすべてオフにして、ただひたすら布団にくるまって時間が過ぎるのを待つ毎日。
誰にも会いたくなかったし、誰にも見られたくなかった。
医者に言われた。
「焦らないことが一番大切です」と。
でも、焦らないでいられるだろうか? 世の中はどんどん進んでいく。
友人は仕事で評価されている。
私も東日本人事リーダーだった。
SNSを見ると、みんなが眩しくてたまらなかった。
取り残されたような気持ち。
いや、取り残されているのではなく、すでに社会から切り捨てられたのではないかとすら思う。
それでも、ある日、ほんの少しだけ違った朝があった。
布団の中から見えた窓の外に、青空が広がっていた。
ほんの少し、空が綺麗だと思った。
それだけのことだけれど、私にはそれが奇跡だった。
何かを「綺麗」と思える自分が、まだどこかに残っていたことに気づいた。
それから、ほんの少しずつ、呼吸を整える練習をした。
朝、カーテンを開けるようにした。
日光がまぶしくて嫌な日もあったけれど、何も感じない日も、少しだけ心が和らぐ日もあった。
食事は、無理のない範囲で少しずつ戻していった。
薬の副作用に苦しんだ日もあったけれど、それでも飲み続けた。
医師やカウンセラーの言葉が、時々心の奥に届くこともあった。
治るとは言えない。
今もまだ、苦しい日がある。
ふとした瞬間に涙が出ることもあるし、自分を責めてしまうこともある。
けれど、「絶望」しかなかった日々から、「少しだけ希望」が見える日が出てきた。
それが、私にとっての回復の第一歩だった。
うつ病は、決して「弱さ」ではない。
誰も好きでうつ病になるわけではない。
心の風邪なんて軽い言葉で語れるものでもない。
だけど、確かに、回復への道はある。
決して一直線ではなく、むしろジグザグで後戻りだらけだけれど、それでも一歩一歩、歩くことはできる。
このブログを読んでいる誰かが、もし今、私と同じように苦しみの中にいるのなら、どうか伝えたい。
あなたは、ひとりじゃない。
苦しんでいるあなたの気持ちを、誰かが分かろうとしている。
今日を生き延びただけでも、あなたは十分に頑張っている。
そして、きっと、いつか、空の青さが目に映る日が来る。
その日まで、一緒に歩いていきましょう。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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少しでも生きる力をみいだせれば幸いです
https://note.com/reimi_tutu/n/nba0d2059f547
医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
ひとりではどうにもならない時あるよね
私は大変だったんだ
