
「生きていていいのかな」——この言葉が、朝起きた瞬間から夜眠りに落ちるまで、頭の中をぐるぐると渦巻いている。
誰にも聞こえない声で、心の奥底から囁いてくる。
生きる理由も希望も見いだせない日々のなかで、この言葉はまるで自分自身を責め立てる呪いのように繰り返される。
うつ病になってから、世界はまるでモノクロになった。
かつては感じられていたはずの小さな喜び、美味しい食事や季節の移ろい、人との何気ない会話……それらが全部、透明なガラス越しにあるように感じる。
そこにあるのに触れられない、聞こえるのに心に届かない。
感情のスイッチが壊れてしまったみたいで、泣くことも笑うこともできない。
家族は心配してくれている。
でもその心配すら、申し訳なくて、苦しくなる。
「自分がこんなふうになってしまって迷惑をかけている」と思うと、ますます「生きていていいのかな」と思ってしまう。
何もできない。
働けない。
家計にも負担をかけている。
せめて「消えてなくなれば」と思うのは、逃げたいからではない。
自分がいなくなれば、みんなが楽になるんじゃないかと本気で思ってしまうからだ。
ただ、そんな思いを誰かに打ち明けることはとても難しい。
言葉にした瞬間、「甘え」とか「考えすぎ」とか「気分転換しようよ」とか、そんな風に軽く流されてしまうことが多い。
もちろん、そう言ってくる人たちは悪気があるわけではない。
でも、地獄にいる人間に「もっと前向きに考えようよ」と言うのは、地面にうずくまっている人に「空を見上げてごらん」と言うようなものだ。
見たいけど見られない、見える余裕がないのだ。
時間が止まっているような感覚もある。
朝が来て、昼が来て、夜が来る。
でもそれは、ただ光が変わっていくだけで、自分の中では何も変わらない。
同じ場所にずっと取り残されている。
カレンダーは進んでいるのに、自分だけが時間の外側にいるような感覚。
未来なんて考えられない。
今日一日をどう過ごすか、それだけで精一杯。
いや、正確には「今日をどうやって耐えるか」だ。
そんな日々のなかでも、ときどきふとした瞬間に「まだ生きていていいのかな」と思えるときがある。
窓の外から鳥のさえずりが聞こえてきたり、猫がすり寄ってきたり、家族の誰かが「おはよう」と声をかけてくれたとき。
ほんの一瞬だけど、自分の存在を認めてもらえたような気がして、その一瞬のためだけに、もう少しだけ頑張ってみようと思えることがある。
でもそれは、決して「元気になった」とか「治った」ということではない。
地獄の中にいながらも、ほんの少しだけ空気がやわらかく感じられる、そんなわずかな瞬間に過ぎない。
翌日にはまた奈落に突き落とされることだってある。
でも、そういう波の中で生きていくしかないのだと思う。
生きていていいのかな。
正直、答えはまだ出ていない。
誰かに「いいよ」と言われても、自分が納得できなければ意味がない。
でも、もしもこの文章を読んでいる誰かが、同じような気持ちで苦しんでいるなら、ひとつだけ伝えたい。
「あなたが生きていて苦しんでいることそのものが、すでに意味のあることだ」と。
苦しいのに、それでも今日も生きている。
その事実だけで、あなたはすでに誰かの希望になっているかもしれない。
私は今でも毎日「生きていていいのかな」と思いながら生きている。
でも、その問いを投げかけ続けているということは、まだどこかに「生きたい」という気持ちのかけらが残っている証拠だと思う。
どれだけ弱くても、どれだけ小さくても、そのかけらを大事に抱えて、今日もなんとか生きている。
いつか、「生きていていいのかな」ではなく、「生きていてよかった」と思える日がくるのだろうか。
今はまだ見えないけれど、その日が来ることをほんの少しだけ信じていたい。
今はそれだけが、唯一の希望だ。
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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ひとりではどうにもならない時あるよね
私は大変だったんだ
