かつて、私は朝から晩まで働き詰めの日々を送っていた。
会社へ向かい、上司の理不尽な指示に耐え、同僚の顔色を伺いながら、ひたすら「ちゃんとした社会人」を演じていた。
どんなに疲れていても、心が悲鳴を上げていても、「社会人なんだから当たり前」「甘えるな」「もっと頑張れ」と自分に言い聞かせていた。
だが、ある日、身体がまったく動かなくなった。
会社に行こうとしても足が前に出ない。
電車に乗ろうとしたが、胸が締めつけられるように苦しくなり、その場で崩れ落ちた。
目の前がぼやけ、涙が勝手にあふれてきた。
何が起きたのか分からず、ただただ「自分が壊れてしまった」と感じた。
最初は信じられなかった。
「自分がうつ?そんなはずはない」「ただの甘えでは?」と否定した。
しかし、医師は静かに言った。
「あなたはもう限界を越えているんです。
休まないと、本当に取り返しのつかないことになりますよ」と。
その日から、私は休職することになった。
会社には診断書を提出し、医師の指示に従って自宅で静養する日々が始まった。
だが、「休む」ことがとても苦しかった。
何もしていない自分に罪悪感を覚えた。
社会から取り残されていくような感覚。
誰にも必要とされていないという孤独。
無力感と自己否定の渦に、私は深く沈んでいった。
休職期間中も、回復の兆しはなかなか見えなかった。
朝は起き上がることさえできず、食事もろくにとれない。
人と会うのが怖くなり、電話やメールにも一切応じられなくなった。
テレビの音ですら苦痛で、カーテンを閉め切った暗い部屋で、ただ時間だけが過ぎていった。
そのまま数ヶ月が過ぎ、会社からは復職の可否について連絡が来た。
しかし、そのときの私には「仕事に戻る」という選択肢がまったく見えなかった。
むしろ、会社のことを思い出すだけで動悸が激しくなり、吐き気を催す。
あの世界にはもう戻れない。
戻ってしまったら、今度こそ本当に壊れてしまう──そう感じていた。
悩みに悩んだ末、私は退職を決意した。
何年も勤めた会社。
生活の基盤であり、社会とのつながりでもあった場所を、自ら手放すというのは本当に怖かった。
しかし、「生きていく」ためには、手放さなければならなかった。
退職の手続きは、心の負担が大きすぎたため、代行してもらった。(下記に記載あるので確認だけでも)
私は電話一本さえかけることができなかった。
人と会話する気力がなかった。
情けなくて、惨めで、どこまでも自分を責め続けた。
今、退職して数ヶ月が経つ。
病状はまだ回復していない。
むしろ、社会的な肩書きを失った今、いっそう自分の存在価値が分からなくなることがある。「働いていない自分には、何の意味もないんじゃないか」と何度も思う。
でも、少しだけ心に余裕ができたことも確かだ。
毎朝、無理に起きて会社に行く必要はない。
誰かに怒鳴られることも、責められることもない。
何より、自分の感情に正直でいられる時間ができた。
それだけでも、退職した意味はあったのかもしれない。
「うつ病で仕事を辞める」という選択は、今も正解だったのか分からない。
ただ、あのまま働き続けていたら、命を落としていたかもしれない。
そう思うと、やっぱり今は、これでよかったのだと思いたい。
社会の中では、「働いている人」が評価され、「何もしていない人」は無価値だと見なされがちだ。
でも、本当にそうだろうか。
たとえ何もできなくても、生きているだけで、意味はあるんじゃないか。
そう自分に言い聞かせるようにしている。
いまはただ、少しでも自分の心が穏やかになることを優先したい。
焦らず、比べず、自分のペースで生きる。
そんな生き方を、ようやく探し始めたところだ。
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https://note.com/reimi_tutu/n/nba0d2059f547
医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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私の時にこれらを利用してたら、また違った人生だったかもしれない。
ひとりではどうにもならない時あるよね
私は大変だったんだ
