
今日もまた、どうやって生きればいいのか分からないまま一日が始まった。
目覚ましが鳴っても体が動かなくて、
布団の中で天井をぼんやり見つめながら、
「今日もまた始まってしまった」とため息をついた。
起きる理由なんてどこにも見つからないのに、
時間だけは勝手に進んでいく。
しばらくしてようやく布団から出たけれど、
心は重いまま。
洗面所の鏡に映った自分の顔は、
生きているというより、ただ存在しているだけに見えた。
こんな自分がこれから何をすればいいのか、
想像するだけで疲れる。
外は今日も普通に動いている。
近所の人がゴミを出して、
子どもが学校に向かって走って、
どこかの家から朝ごはんの匂いがしてくる。
みんなが当たり前のように役割をこなしているのを見て、
胸の奥がキュッと縮むように痛んだ。
自分だけ、生き方の説明書を失くしてしまったみたいだ。
今日も結局、特別なことは何もできなかった。
簡単に食事をして、少し外の空気に触れたけれど、
それだけでエネルギーを全部使い果たしてしまった。
午後はほとんど横になっていた。
「何をしたいのか」「どこへ向かうのか」
考えても答えは出ないし、
考えれば考えるほど心が沈んでいく。
でも夕方、ふと窓の外を眺めていた時、
ぼんやりと思った。
もしかしたら、生き方が分からないのは自分だけじゃないのかもしれない。
周りの人だって迷って、立ち止まって、
それでもなんとか続けているだけなのかもしれない。
見えていないだけで、誰も完璧に生きているわけじゃない。
そう思うと、今日の自分の一日も
「無駄」だったとか「ダメだった」とは言い切れない気がした。
息をすることが精一杯の日があってもいい。
何もできない時間があっても、
それは生きる力を繋ぐための、必要な休憩なのかもしれない。
明日もまた、どうやって生きればいいのかは分からない。
不安も重さもきっと残ったままだ。
それでも、今日をなんとか終えられた。
その事実だけは、小さな「続いていく理由」になる気がする。
生きる方法はまだ見つからないけれど、
それでも、今日の自分を否定せずに、
ただそっと受け止めてあげたい。