
――誰にも理解されない感覚で生きている――
誰にも理解されない感覚で、生きている。
そう言うと、大げさだとか、考えすぎだとか、寂しい人だとか言われる。
けれど、この感覚は言葉を投げられて消えるようなものじゃない。
目の前に人がいて、会話が成立していて、笑顔も作れているのに、
どこか決定的にズレた場所に、自分だけが立っている感じがする。
同じ日本語を話しているはずなのに、
同じ現実を共有しているはずなのに、
自分の中で起きていることだけが、いつも翻訳不能のまま残る。
苦しいと言えば、「休めばいい」と返ってくる。
つらいと言えば、「みんな同じだよ」と流される。
説明しようとすればするほど、
「そこまで深刻じゃないでしょ」と、現実の方が否定してくる。
理解されないことが一番きついのは、
孤独だからではない。
「自分の感覚が間違っているのではないか」と、
何度も自分自身を疑わされることだ。
この痛みは存在しないのか。
この重さは気のせいなのか。
そうやって、感じているはずのものを、
自分の手で削り落とすようにして生きてきた。
誰にも理解されない感覚で生きるというのは、
常に一人で証人になることだ。
自分の苦しみの存在を、
自分だけが知っていて、
自分だけが「確かにあった」と言い続けなければならない。
救いは、劇的な理解ではない。
完璧にわかってもらうことでもない。
せめて、「わからないけど、否定はしない」と
言ってもらえる場所があれば、それでいい。
今日も、誰にも理解されない感覚を抱えたまま生きている。
それでも、ここにこうして書いている。
この感覚が、確かに存在しているという証拠として。